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2015年 03月 06日
出歩き過ぎて体調を崩す…の
出かけ先が 「遊び」なら嬉しいが 今回は 通院し過ぎでダウンした 細々とした不調を なんとかしようと毎日あちこち (それでなくても病院は疲れる場所なのに) 風邪もひいたが これもどこで貰ったのやら なのでいまのモットーは 「ゆっくり、ゆっくり」 「潜伏キリシタン」 大橋 幸泰著 講談社選書メチエ 難しい本を借りたとき 読めるのと読めないのがある 馴染めれば 「難しすぎる」内容であっても 外側だけだが、わかった気になる (長年活字を読んできてわかった。 読みやすい文章だとぱっと信じてしまう。) 単に好み…で 本の良し悪しではなく 正しいかどうかではないことに気をつけないといけない 読み終えて 「きりしたん」という言葉で想像する 悲劇的な殉教物語が 頭にあって 実像など知らなかったな、とおもった (天草四郎と島原の乱だけしか知らなかったものな) キリスト教が日本に入ってきて 華やかに 布教が行われて後 禁止令が出てからのことを 時代順に解題している はじめは指導者である バテレンや修道士を 取り締まるものだった禁止令が 時代が下るに従って 「きりしたん」のイメージが変わっていったこと (“貧困”になった、とある) キリスト教だけではなく 民間信仰や、仏教の異宗派などが 取り締まりの対象になっていったのだ 「隠れキリシタン」の疑いがあっても 制度を揺るがすものでない限り 「ないこと」にされる場合もあった 近世の村の互助制度が機能していたときは 多少のことは大目にみられたようだ しかし、時代が変わっていき 村の中の所得の格差が広がり 貧富の差ができると 対立が起こった そして、「いま」の利益より 来世の救済を求めて はっきり信仰を表明する人々が出た (ちょうど明治のはじめごろ) 「まじめにこつこつ」 村の掟に従って 先祖代々の信仰を守りながら ふつうに暮らせれば問題はなかったのだが 「きりしたん」が “ただそれだけ”で生きていける訳ではない、 という指摘が面白い 人の生には多面性がある…まったくその通り 近世の人々にとって 邪とは「キリシタン」のことだったが 征とは何か、ということになると それはとても曖昧だった (邪じゃないものが正、なのかな?) 『近世から近代への転換はおおむね 多様・曖昧から 一律・統制への転換であったと評価できるように思う』 宗教の分野だけではない、とも著者は最後に書いている こぼれ落ちるものを切り捨てる効率化、が 近代の性格であり、 それは資本主義と表裏の関係にある、と 過去はこうしていろいろな角度から みなおしできるんだけどねぇ #
by korima1969
| 2015-03-06 13:00
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2015年 03月 04日
すこし前に読んでた本
そこそこだなあ、と思っていた 「熱風の日本史」の井上さんの本だとは!! こういうのを「ご縁がある」というのかしら 「天皇と葬儀」 日本人の死生観 井上 亮著 新潮選書 借りる本に新潮社のものが多い 活字に慣れているからだろう 古代からの天皇の “葬儀”について述べてある たとえば「もがり」 ふりがながないと読めない字 これは古墳時代から奈良時代に行われた 葬儀の次第が文献に現れるのは 古事記・日本書紀の時代 古代の天皇の葬儀は政治と直結していた しばしば政変が起こるきっかけになった、と 歴代天皇の葬られ方…火葬か土葬か また陵墓の場所など 詳しく書かれている (おどろくほど) 平安時代に入ると 文献が豊富になるので さらに詳しくなっていく 何代天皇が何が原因でなくなって お墓はここ、と特定されはじめる いまある天皇陵が決められた(特定された)のは ずっと後 決め終えたのは明治時代だと読んでびっくり 各時代を眺めてみると タタリとケガレの時代は平安時代 (たしかにそんな感じ) ちなみに奈良時代の鍵言葉は「モガリ」 これが中世に入ると 「武家政権」の時代になって 天皇の存在は後ろに引っ込んでしまう (社会科で習ったっけ) 本文中に 天皇家の系図も出てくる それと亡くなった原因、も 時代は ぱぱっと明治時代に切り替わる 長い間 皇室の葬儀を請け負っていた (司ってのほうがいいかな)のは泉涌寺 このお寺は 有名だけど 観光寺院ではない (有名な仏像などを宣伝しない なんでかな、と思っていた) 寺の「位」が高い… 皇室の後ろ盾があるからなんだな、と よくわかった そのころの儀式(江戸時代など)は 神も仏も取り入れたものだった それが明治維新で 大改革が起きる いままでの政治を一変させる必要があったから (それが葬送の仕方にも及ぶのだ) 西洋に追いつけ追い越せで 神仏習合ならぬ和洋習合の「天皇制」ができた 明治天皇の葬儀にあたって 仏式は排され (いまわたしたちが 皇室の儀礼として知っている) 平安時代の装束や 神主が取り仕切る式次第になった それも国家を挙げての大行事だった 明治天皇陵は京都の桃山にある 遺言だったからそうなったのだけれど たしかにお山は大きく荘厳 乃木神社があるのもそれでなのか! ここで確立された皇室の葬儀は 次代の大正天皇に引き継がれ 何もなければそれでよかったのだが。。 太平洋戦争があって (負けて) またしても 国のありようが大きく変化 天皇の地位は元首から象徴になった けれど昭和は続き 昭和天皇逝去のとき この国が行った儀礼は 明治、大正両天皇の葬儀とそれほど変わってはいない (法律改正がなかった部分がある、と) メディアの進化とともに 葬儀の模様は誰の目にもみえるものとなった 「鳴り物停止」なども 自発的に昭和天皇の逝去時には行われた いったい何が変わって 何がむかしのままなんだろ? めまぐるしい世の中の変化とは別に 変わったと思いこんでいて 変わっていないものがあることを 気づかせてくれる本である 特に近代は面白かった むかしからだ、と 思いこんでいた物事(常識) それは自分が子どもの時に 刷り込まれたことに過ぎない 個人の「むかし」は 高々半世紀なんだと、よくよくわかった #
by korima1969
| 2015-03-04 20:34
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2015年 03月 02日
スタンプラリー
次は「清水焼団地」へ ここが出来た歴史は知らない 年に一度、陶器市が開かれており その時に行く (バスが増発されるからだ) 休日と昼時のせいか 閑散としている 目的の会館が探せず 数人のひとに聞いてやっと 真新しい建物にたどり着く 明るい展示室があり (木の香もかぐわしい…??) トイレも最新式 2階は会議室のようだ 並んでいる作品はよりすぐりらしく 玲瓏とした美しさはさすが清水焼 伝統どおりのものもあり 今風のお洒落な作品もある でも「高そう」だ 土曜日でも開いている店を教えてもらう さっき尋ねた人の店に、まず入ってみる わたしは一輪挿し(二輪でもいいが)がほしいのだ 見たもののなかで これは、と思ったものは 予算を超え 「どうですか!」と 薦められたものは 小さめで貧相に見える (値段は予算の範囲におさまるけど) 迷っていると ビールグラスなどでも 充分花瓶になりますよ…と 案内の女性から教わる (店員ではないようだ、奥さんかな?) 安定が悪ければ “剣山”を沈めればいいそうな (剣山ってどこに売ってるのだろ) 店にはウツクシイものがたくさんある 絢爛豪華、色彩ゆたかなもの 藍一色のもの どれも弾くとチインと音がしそうな繊細さ “奥さん”から 清水焼の品質について説明を受ける 話しているうちに 彼女の祖父に当たる人は 陶芸家河井寛治郎の 「火焚き師」だったという話を聞く 窯焚きを一手に引き受けて それは名人芸だったと 数値で表せないその技術は 登り窯を使えなくなって途絶えた、そうな 使えなければ技は廃れる 一旦絶えれば復活させることは難しい 団地がこの地に引っ越したのが 昭和三十年代半ば 窯の集まっていた 東山のふもとに 住宅やマンションが建ち始め 窯からの煤煙が 「迷惑」になったのだって なるほど… 確かに、とうなずくことがたくさんあった 並んでいた皿も器も 見事なものだったからである 結局、予算に合った一輪挿しを買った 帰ってすぐ 玄関に置いてみる 底の部分がすこうし広くなっていて 安定がよく 団地の狭さにぴったり これで夏でも、花が飾れる! #
by korima1969
| 2015-03-02 22:12
| ひび
2015年 03月 01日
「熱風の日本史」 井上 亮著 日本経済新聞出版社 扱っている時代は明治から平成まで 日本人が何に熱狂してきたか、の連載を単行本化 項目をみると うなずける事柄ばかり その他の小さな“流行”は数知れずあっても 大事件となると それほど多くはないんだね 著者がまえがきで述べているとおり 書かれている題材は歴史の「暗部」である事例だが いま、それらが取り上げられ 過去を振り返ることは 必要なことだろうな、と思った 苦い経験を直視できることが 成熟の証だとするなら どうも近頃はそれとは反対の方向に 世の中が進んでいるように思えるから 昭和までは 「知って」いることがほとんどで すいすいと読めるのだが 平成に入るととたんに 記憶が薄れる… なんといえばいいんだろう 確かに経験しているのに そのことが遠い。。。 「阪神大震災」と 「オウム真理教」のふたつが かろうじて、身に沁みることとして思い出される そのあたりで わたしは成長を止めたのだろう 好奇心のあったときが 懐かしい 明治、大正のことがらは全部 本で読んだこと…なのだけれど 小説で読んだり 歴史で習ったりと 何度も記憶をし直しているから ちゃんと自分のものになっている (むろん、実感ではなく 知識にすぎないのだけれど) どれを読んでも よくもまあ、同じ経過を辿っていること、と 感心してしまうほど 熱狂の形(パターン)は似ていた この燃え上がり方の凄まじさ 破壊力の恐ろしさは 憶えておかなければ、とおもった なかでも 驚いたのは 敗戦後、マッカーサー元帥が 占領統治の最高司令官としてやってきた時のこと 彼への手紙(ファンレター)が『五十万通』も 届いたのだという その頃は 礼賛の書籍などが出版されて 熱狂的な「マッカーサーブーム」が 巻き起こっていたのだけれど (勝者へのファンレター)は 日本固有の現象だったらしい その中には 「日本をアメリカの属国に!」という意見も あったそうな それが、解任後に彼が アメリカ議会の聴聞会で 「日本人は現代文明の基準で計った場合は 十二歳の商戦のようなもの」と 発言したら 賞賛のすべては雲散霧消…したのだそうだ その熱狂と終わったあとの冷淡 取り上げられていすべての項目に その特徴が現れている 面白く読みながらぞっとした その熱狂を煽ったのが 第二次大戦までは主に新聞だったことが書かれており 新聞好きのわたしにため息をつかせた そうか、これまで新聞を頼りにできたのは 戦争体験のある人々が 社会の中心であったからなのか、と 項目の抜粋 ○旧物破壊の嵐 明治維新、文化財に牙 ○欧化という熱病 人種改良、本気で議論 ○恐露病と露探の幻影 敵意が「非国民」生む ○歴史学が抹殺された日 南朝を信奉、矛盾に蓋 ○「どん底」の人々の救済 弱者切り捨てた近代 ○「関東大震災」 流言、市民が凶徒に変貌 ○日中衝突への導火線 敵意・憎悪が世論主導 ○愛国の兵器献納運動 兵士思う心 戦闘機に ○十二月八日の「青空」 大戦果。日本中が熱狂 ○マッカーサーを抱きしめて 「解放者」を過度に崇拝 ○「一億総観戦」あさま山荘の戦場 映像の力、報道変える ○湾岸危機「想定外」の迷走 迫られた「カネも汗も」 ○イラク人人質事件と自己責任論 被害者を責めた「世論」 ◎「新聞は思想戦兵器なり」 営利追求、戦争熱あおる #
by korima1969
| 2015-03-01 18:42
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2015年 02月 27日
どんより冬空
行ったり来たり 春になるにはもうちょっとなんだが でも 花粉と黄砂は早めに来てる 思い通りにはいかないもんだね 持病の具合はまずまず…だが 季節の変わり目なので 循環器科へ 地下鉄とバスを乗り継いで 一時間ちょっとの “お出かけ” 厳しい天気のため 患者さんが少なく 早めに終わり有り難し (特に異常はないとのこと) その後はいつものように 高級パン屋のレストランで お昼 ほっとして飲むお茶はおいしい 毎年この時期は スタンプラリーに参加する ほとんど市内で 知らなかった施設、催しなどあって たいそう楽しい 今日は「寒い」ので 交通至便の街中へ ○万華鏡ミュージアム と ○伝統工芸館 規模はどちらも大きくない できたのもそれほど前ではない感じだ スタンプだけ、はダメなようだ ここでも寒さのため 人が少なく ゆっくり見られる…とはいうものの 係員の数のほうが多いありさま 万華鏡ミュージアムでは 丁寧な説明をしてもらい いろんなタイプの万華鏡を見比べた 作り手によって 色も形も微妙に違う 専門家のはさすがに豪華 わたしたちの年代はこどもじぶん学校で 簡単な万華鏡を作ったことがあるのだ (ここでも手作りキットを売っていた) ぱらぱらと変わる模様が「きれい」だった しかし“作品”になると ひと味違って オイル(グリセリン)に「華の素材」を封じ込めて イメージ通りの形を創るのだそうで くるくる回すと 昔に還ったような気分になった キットは買わなかったが 「鏡の仕組み」の種類を書いたチラシを貰って帰る 伝統工芸館では 猫のフィギュアが付いた結束バンドを ついつい手に取ってしまって 購入 ¥300 ささやかな贅沢? 知らないことを知るのはいつも楽しい (ほんのちょっとでええねん) #
by korima1969
| 2015-02-27 22:19
| ひび
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